時津風親方、あんた無茶や
また、相撲界に激震が走った。
朝青龍の話題がおさまりかけたところに、またも不祥事に近いことが起きて
しまった。
時津風部屋の新弟子が、建前上はぶつかり稽古で亡くなったという話がかなり
事件性があることが明るみになってきた。
どうやらリンチを受けていた可能性が非常に高く、遺体はあざだらけで見るに耐えない
ほどだったようである。とても稽古だけでできる傷ではなかったみたいだ。
監督責任者でもある時津風親方は、どんな振る舞いをしていたのだろうか?
おそらくこの時津風部屋は長くリンチに近いしごきのような慣習があったと思う。
常態化していただろうから、当事者は当たり前のように暴力をふるい、あまり罪の
意識などはなかったと思う。
時津風親方もビール瓶で殴ったことを認めており、話にならない。
閉鎖社会であるこの相撲部屋をもっと社会に開かれた社会的常識のあるものに
しないといけない。
●時津風部屋とは・・・
時津風部屋は、大相撲の相撲部屋の一つ。霜鳳、時津海、時天空などの東京農業
大学出身の幕内経験力士が多数を占めている。
昭和17年、当時まだ現役の横綱双葉山定次により双葉山相撲道場として設立される。
昭和43年、双葉山の死後元鏡里の立田川親方が一時的に時津風を襲名するが後継
者に豊山を指名していたとの遺言の存在が明らかになり、鏡里は立田川に戻り立田山
(大内山)などの親方だけを連れ弟子を1人も連れずに独立し昭和46年に立田川部屋を
興した。
豊山勝男の継承後、関脇蔵間竜也、小結豊山広光・大潮憲司・双津竜順一・大豊昌央
・霜鳥典雄、平幕時津洋宏典・蒼樹山秀樹・時津海正博などの幕内力士を輩出している。
豊山の時津風定年後は、元小結の双津竜が部屋を継承している。弟子に「時(津)」や
「豊」、「双」を含む四股名をつけることが多い。
先代の母校である東京農業大学相撲部は時津風部屋でも稽古を行うことがあるため、
卒業後角界入りする者はほとんどと言って良い程、時津風部屋に入門している。実際に
豊ノ島以外の現役3関取は東京農大の出身である。
現在でも右横書きで書かれた双葉山相撲道場の看板がかかげられている。(参考:Wikipedia)